なんちゃってWEBデザイナーだったり、エセ主婦だったりする「あこまる」のあれこれ。
大阪地方協力本部 女性防衛モニター12期生(2011年度)として活動しました。
これからも「乗りミリ」「話しミリ」として、自衛隊好きはやめられませーん!
投稿日 : 2011.03.04
カテゴリー : 日々雑感

生きることについて考える




ブログを設置しよう!と思い立って準備をあれこれしていたら
突然、びっくりするような連絡が舞い込んできました。しかも大事件が2つも。
生きてると色んな事があるなぁ、と しみじみ考えさせられる一週間でした。
忙しすぎたから、なんかあっという間だったような めっちゃ長かったような
全部夢だったみたいで、今も夢から覚めてないような変な感じが続いてます。

1つは、すごく密接にお付き合いしてた某社が倒産したということ。
正直にいえば、会社の経営が思わしくないとは聞いてはいたし
その余波で、私も1月末で契約打ち切りになってたんで、驚かないっちゃー驚かないんですが。
でもやっぱり悲しい。思い入れのあるクライアントさんだったから。

スタッフのみんなはどうしてるかなー。社内はどうなってるんだろう。
近くの他の会社の方の話では、シャッターも全部閉まってて閑散としているとのこと。当然か。
身近なところで「倒産」ってのは初めての経験だから
自分の目で確かめるまでは、なんか信じられない気持ちだったりもします。

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もう1つは、個人的にもお仕事でも仲良くしてた ずいぶん年下の友人が亡くなったこと。
私の相方との共通の友人で、まだ28歳の若さで旅立ちました。

彼と知り合ったのは6年ほど前。
某オンラインゲームで遊んでいて、ゲームの中で知り合ったんですが
意気投合して自宅もそう遠くないということで、飲み会をするような仲になりました。
当時彼は専門学校生だったのですが、ほどなくして卒業して就職。
夢だったゲーム制作の会社へ入社したのですが、激務に追われ体調を崩し退社。
その後、ウチの相方が役員をつとめる会社に彼を招き入れ
公私ともに仲良くしていたつもりです。家族ぐるみで。

でもまた体調を崩してしまったので、しばらくは在宅勤務に変更したのですが
その状態を長く続けるわけにもいかず退職することに。
フリーランス、個人事業主として頑張る彼に
相方も私も、お仕事を依頼したり 依頼主を紹介したりという形で応援してきたつもりでした。
もちろん、仕事が一段落すれば「打ち上げ」と称して飲みに行ったり
普段はmixiやTwitterでバカな話をしたりと、ごくごく普通に仲の良い友人でした。

最近、少し元気がないかなー?と気にはなっていたのですが
ついつい雑事にまぎれてしまって、会う機会がない状態が2カ月ほど。
あ、相方はつい2週間ほど前に会ったんだったかな?
でも新しいことを始めようといった前向きな話もあったそうで
特に変わった様子ではなかったと言います。

そこへ突然の訃報。彼は卑怯にも、自らの命を絶ちました。
奥さんと小さな娘さんを遺して、空の彼方へいってしまいました。

何があったのか 突発的な行動だったのか 熟考のうえなのか
それは今となっては誰にもわかりません。
何か出来ることがあったかも あれはサインだったのか
考えても何の結論も出ないことばかり、ぐるぐる考えてしまいます。

相方は当然のように会社に行っていて留守でした。
いつ、どうやって伝えればいいかわからなかったのですが
会社としての弔電・弔花の準備や参列の手配などもあるので
在社のうちに伝える必要があると思いました。
ただ、あまりに早く連絡をしてしまうと業務に支障が出るかとも思い
退社の1時間前に連絡をしました。
電話の向こうで絶句する相方に、かける言葉がありませんでした。

相方が帰宅して「おかえり」と声をかけると
彼も緊張の糸が切れたのか、何も言わずに抱き合いながら号泣しました。
私より付き合いも深く、思い入れもあるはずで、当然といえば当然なのですが
相方があんなに声をあげて涙を流すのを初めて見ました。
悔しさと情けなさは、私よりずっとずっと強く感じているようでした。

ご家族が把握しきれていない友人もいるかも、と奥さんから聞いていたので
共通の友人に連絡をしたあと、彼のmixiのアカウントやTwitterのアカウントから
私の知らない方にもたくさん連絡をしました。
事情が事情だけに、知らせるのをためらう気持ちもあったのですが
遺された側としては、最後の挨拶をする機会を私が作れるのであればと思い
悪質ないたずらだと思われるだろうと思いながらも
知らない方へ ひとりずつ 連絡をしていきました。


信じられない 何があったの どうして


私が聞きたいっちゅーねん!と言いたい気持ちをこらえつつ
折り返しの連絡をくださった方には、通夜・葬儀の日取りを伝えていきました。
連絡したのは100人ほどになったかと思います。
またほとんどの方が折り返しの連絡を下さいました。
その折り返しの連絡に再度返信をしていると、膨大な量のやりとりになりましたが
これが彼にしてあげられる最後のことかと思うと
ひとつひとつ、おろそかにするわけにはいきませんでした。

通夜当日、取引先や相方の会社 お友達も
ご家族が思っていたよりたくさんの方が参列してくれました。
「あんたには これだけの仲間がいたのに」
「みんなの怒りが聞こえるか? 泣かせているのはあんたやで?」
と腹がたつやら悔しいやら。
自分が力になれていなかった歯がゆさもあって
私はどんな顔をしていたかが自分ではわかりませんでした。

懐かしい写真や手紙が出てきたので棺に入れてあげてほしい、と奥さんに手渡し
不謹慎だとは思いながら、くだらない思い出話をひとつふたつして冗談を言い
笑顔で通夜を後にしました。
カラ元気でもいいから、ご家族の前で私が泣いたら
またご家族も悲しくなるだろうから、と。
いや、笑い話にでもしないとやってられない、というのが正直なところだったかもしれません。
遺体との対面は、現実に向き合うようで 二人とも出来ませんでした。

家に帰ってからは二人で べそべそ泣きながら思い出話をしました。
弔花の手配をし、最後のお別れに持参するお酒を買いに行き
次の日は葬儀に参列しないといけないのに、なかなか眠れませんでした。
やっと眠れたのは、朝5時ぐらいだったかもしれません。

葬儀では奥さんの号泣する姿や、小さな娘さんの姿
ご家族の姿を見れば見るほど、胸が痛くてたまりませんでした。
人間の体からはこんなに涙が出るんだなぁと思うぐらい
涙がただただ流れて止まりませんでした。

遺体に対面すると、びっくりするぐらいきれいでした。
もしかすると生前の彼よりも、二枚目だったかもしれません。
つらいことやしんどいことから解放されたせいなのでしょうか。
いつも小難しい顔をしていたんだなぁ、と 不思議な気持ちになりました。

持参した焼酎の小瓶の封をあけて、すこしだけ白いハンカチに浸みさせて
相方が彼の口元にあてがいました。
そのハンカチは棺に一緒に入れてもらいました。
残った焼酎は自宅へ持ち帰り、葬儀後に私と相方と彼の3人で乾杯をしました。
「近いうちにまた飲みに行こうよ」の約束を果たす代わり、です。

出棺のときは、最後に何かを伝えたくて
でももう怒っても仕方がない、と思ったので
「○○、ありがとう」と大きな声で叫びました。
厳粛な空気の中、私の行動はさぞかし迷惑だったと思います。
本当は罵倒する言葉で頭がいっぱいでした。
でも、最後の最後だと思うと ありがとう の言葉しか出ませんでした。
合掌する参列者の中で、大きく手を振りました。
またね、ありがとう バーカ バーカ。
彼自身に見えていたか聞こえたかはわかりませんが。

お仕事の事後処理のこともあって、葬儀後に近くのお店に入って
奥さん宛に手紙を書きました。
私と相方の連絡先を記載しておいたので、夜に連絡がありました。
力になれることがあれば、遠慮なく言ってね と話しましたが
私や相方に何か出来るのでしょうか?
まだまだ想像もつかないし、出来ることがあるのかどうかもわかりません。

ただ、ひとつ思えることは
自分で自分の命を絶つのは、本当に愚かなこと。
どんな人にも、悲しんでくれる友達や仲間、そして家族がいます。
死にたいと思うぐらいつらいのであれば、現実から逃げればいい。
甘えられる人がいるうちは、甘えればいい。
生きることから逃げてしまうのは、本当に卑怯だと思います。
こちらから話をすることも謝ることも出来ないところへ行くのは
本当に本当にずるいと思います。
命を大切に、なんてありきたりの言葉ですが
生きていれば、事態が良くなることも悪くなることもあります。
全てを味わって、全てを受け入れるために
この世に生まれてきたはずだと思っています。

まだまだ教わりたかったこと、教えたかったこと
話したかったこと やりたかったこと たくさんありました。
今、私の身の回りにいる方 これから出会う方々とも
まだまだたくさん、色んなお付き合いが出来ればと思っています。
どうぞ皆さん、これからもよろしくお願いします。

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